――お待たせ、宗次郎

近くを流れる小川に足をつけて待っていた僕は、彼女の声に気付いて其方を振りかえった。夕暮れの、熱の薄れ始めた風がそよそよと流れてきて、水面を小さく揺らしている。心浮き立つ夏の夕暮れ。
彼女は鮮やかな韓紅の浴衣を着て、普段はつけない綺麗な装飾の簪を髪に飾っている。唇には紅をさしているらしい。普段は余り鮮やかな色は着ないし、化粧もしないひとだから、何だか新鮮で少し面映いような、不思議な気分になった。準備に手間取っちゃって、と言う彼女は、なんだか、ひどく綺麗だった。

――浴衣、紅花で染めたのよ、自分で
――へえ、綺麗な色ですね
――今日の縁日に、絶対、韓紅色を着ていきたかったの

彼女の方も、少しはにかんだみたいに俯いて笑った。
一体何故、彼女の笑顔はこうも僕の笑顔まで誘い出してしまうんだろう。目の前で嬉しそうに笑う彼女を見ると、気付けば僕も彼女がしているのと全く同じ顔になってしまっている。不思議だなあ。だけど、それは何か、とても素晴らしいことみたいだ。彼女と同じように微笑むたびに、僕の中にある暖かい部分がどんどん膨らんでいくから。
彼女にとっての僕も、そんな存在で居られるといいなあ、と思う。

――もう始まってるね、宗次郎、そろそろ行こう

美しい韓紅に染められた袖が、僕の方へそっと伸びてくる。

――そうですね

彼女の手を取って立ちあがる。耳を澄ませば、遠くから縁日のお囃子の音が微かにだけれども聞こえてくるみたいだ。心浮き立つ、夏の夕暮れ。
目に映る世界の色を鮮やかに変えてしまった人の柔らかい手を取り、歩く山道。

僕達は山の端へ顔を隠してゆく太陽を背にして、町へ向かってゆっくりと歩いた。
沈んでゆく太陽のお陰で、まるでこの景色の全てが、彼女の浴衣と同じで韓紅色に染められているみたいに、美しく鮮やかに輝いている。