空は美しい黄丹色。

そろそろ夕食なのに宗次郎の姿が見当たらないから、探しに出たら案の定、ぼうっとしながら小川の岸辺に腰を掛けていた。やっぱり、ここに居ると思ったんだ。背後から彼の名を叫んで、ご飯だよ、と言おうとしたけれど、わたしはそれを躊躇った。
そこに居る彼はいつになく、上の空な表情をしている。
何かあったんだ。
わたしの直感がほとんど断定的にそう告げて、無神経に声を掛けるのを制した。流れゆく小川、夕暮れの太陽の光で黄丹色に染められた水面。風に煽られて立つ微かな波を見詰めてはいるものの、意識はそこには存在しないという感じ。時々、ほんとうに時々だけど、宗次郎はそんな目をするし、わたしがそれを見逃したことはない。深い思考の奥に潜っているんだろうか。珍しく不安そうな背中。そんな彼を見ると、いつだってわたしは彼の全てを守りたいと思った。

そっと彼の方へ歩みよって、隣に腰掛ける。宗次郎はわたしの方をちらりと視線だけで確認して、軽く口の端だけで微笑んで見せた。
――水は、空を映す鏡みたいですね
突然に彼が小さく呟く。まるきり同じ黄丹色の空と小川の水面を見比べながら、そうだね、と、わたしも小さな声で相槌を打った。まるで空の色をそのまま水に映したみたいだった。水面は黄丹にきらきら輝いて綺麗だけど、それを見詰める宗次郎の目線は、相変わらずたゆたう舟みたい。

――でも、宗次郎は、水みたいでなくていいんだよ
わたしは、さっきよりももっと小さな声で呟いた。だけどそれはしっかり彼の耳に届いていて、視界の端で宗次郎がわたしのほうを向くのが見えた。
――何かを映そうとなんて、しなくていいんだよ
彼が過去に負ったものを深く詮索なんてしたくないし、彼もそれを望まないだろうから、未だに彼の奥でときどき疼きだす傷の原因なんてわたしには判らない。けれど、宗次郎にはいつものように、宗次郎らしくにこにこと微笑んでいて欲しい。ただそれだけ。
――宗次郎が宗次郎で居てくれなくちゃ、わたしはわたしで居られないじゃない
今度ははっきりと、そう言って笑って見せた。
彼はわたしを見つめたまま何度か瞬きをして、それから、頬の筋肉が一気に緩んだみたいにいつもの微笑みを見せてくれた。ああ、これでこそいつもの宗次郎だ。何だか安心して、わたしは密やかに小さな安堵のため息をつく。

一体何があったの。なんて聞かないけれど、何も不安に思うことはないよ。わたしたちは、どんどん加速してゆく世間の速さには到底負いつけないかもしれないけれど、ふたり並んで、ゆっくりでも一歩ずつ、手を取り合って歩いて行けるじゃない。


――あ、そうそう、夕ご飯、出来たよ
それで呼びにきたの、すっかり忘れてた。そう言って笑うと、彼もあははと声をあげて笑った。
――じゃあ、帰るとしますか
――うん
どちらからともなく繋がる手。
黄丹の空を映した水面が、柔らかな風に吹かれてまたきらりと光った。