彼女は、その白くて細い指には似合わないごつい指輪が好きだ。
手があいているときには絶対に長い髪の先に指を絡ます癖があって、今も、ずっと意味もなく指先で髪を弄っている。その中指には鈍く銀色に光る重々しい指輪。ブレスレットも、ネックレスも、アンクレットもピアスもシンプルで軽いものをつけている彼女だけれど、指輪だけはどうしたって、そんなものばかりを好んでつけたがった。
――ねえ、指輪、欲しくない?
――何よ突然
彼女は、ベッドの端に腰掛けたまま少し笑った。別に何でもないけど、と返答すると、欲しかったら自分で買うわ、なんて冷たく返されてしまった。このヒトらしいといえば、このヒトらしい答え。それから彼女はベッドサイドのテーブルの上に置いてあったグラスを手に取り、ロックのブランデーを口に運ぶ。先ほどからずっと飲みつづけているからか、彼女の頬にはほんのりと紅が刺していた。
――飲み過ぎだよ
――そんなことないわ
座っていたソファから立ちあがり彼女の方へ歩いてゆくと、その手からグラスを奪い取って、少し残っていたそれを飲み干してしまった。不服そうに非難の視線を向けられたけれど、それには気付かない振りをして隣に腰掛ける。
――アルコール、そんなに強くもないくせに
――アンタが強すぎるだけじゃない
黒いアイラインでしっかり縁取られた目で攻撃的に睨みつける彼女は、視線を合わさず手もとのグラスに目を落としていた俺の襟元を引っ張って、そちらを向かせる。完全に敵意を含んだ視線に返すのは、その敵意さえ吸い込んでしまうような飄々とした瞬き。彼女の力強い黒い瞳が、ゆらりと揺れる。
――誘ってる?
――そう思うの?
――うん
――この勘違い男
今度は突き放すようにして、彼女は俺の襟から手を離し解放した。酒が入るとこのヒトはいつでも少し攻撃的で不安定になる。全く危なっかしくて仕方ないんだ。だから俺が傍にいなきゃいけない。なんとも人騒がせな話。
――なあんだ、違ったの?
――馬鹿じゃない
――もしそうなら、応えてあげようかと思ったんだけど
――ああ、もう、だから違うってば
まるでうんざりした風な口調を装った彼女は、俺の手からグラスを引っ手繰った。俺が、あ、と呟いた時にはもう彼女はそのグラスに瓶からブランデーを注いでいるところだった。
――だから、飲み過ぎだよ
――大丈夫だって言ってるでしょ
普段から結構わがままなヒトだけれども、酒が入るとそれが端的になる。
――明日、潰れて起きれなくてもも知らないよ
――大丈夫よ、シャルが起こしてくれるから
ごく当然のように言って、注いだブランデーをそっと口に運んだ。こういうときだけ都合良く俺を使おうとするんだから。彼女はグラスから一度唇を離し、それからまたそれを口元へ移動させようとした。ので、俺は急いでそれを制止する。本当ならまた先ほどと同じようにグラスを引っ手繰ってやろうと思ったんだけれど、今度は彼女も警戒したので上手く行かなかった。そのお陰で、丁度、グラス越しに視線がぶつかるようになる。ふたりでグラスを握り締め、視線が絡みついたまま離れない。
――離して
彼女がぽつりと呟く。
――ねえ
でも、俺はそれを無視して。
――指輪、欲しくない?
グラスを持つ彼女の中指に光る鈍い銀色の指輪にちらりと視線を走らせたあと、問う。彼女は明らかに眉間に皺を寄せた。しつこいわよ、とでも言いたげに。でも俺だって引き下がるつもりはない。
――この指輪、もしかして、昔の男にでも貰ったの?
眉が少し動いた。図星。
――へえ、意外だね、結構未練がましいんだ?
にやりと笑って見せる。彼女の表情は不快そうに歪む。
――俺が居るのに
――関係ないわ
ほとんど消えそうな声で小さく呟いた。
――で、どうなの?指輪、欲しくない?
その指輪が昔の男の趣味なのかどうかは知らないけど、俺ならもっと彼女に似合う指輪を選んであげる自信があった。こんなごつくて無粋な指輪より、もっと、彼女らしいものを。本当は、知らない男の色が残るその指先から、俺が染め上げてしまいたかった。
――いらないわ
彼女は呟いて、グラスから手を離すとすくっと立ちあがった。ドアの向こうに消えるつもりだ。俺と話しているとき、分が悪くなったらすぐに立ち去るのが彼女の常套手段。だけど、今日はそれが上手く行かなかった。彼女の身体は酒のお陰でぐらりと揺らいで、その時にはもう俺がその身体を支えていた。
――君には、ほんとに手を焼くなあ
そう呟きながら満面に浮べた笑みを見せた。彼女はふいっと視線を反らす。このヒトは俺のこの笑顔が嫌いだってことを勿論知ってる。だからこそ、効果的に使うんだ。

――気付いてるくせに、もう、俺から逃げられないって

だって君は張り巡らした巣に引っ掛かった蝶なんだからさ。