トマトになりたい



俺の愛しのマドモアゼルはまったく、へんなことを言うもんだ。あなたがトマトになんてなっちまったら、俺はあなたに包丁をふりかざして、ざくざくと切り刻んでドレッシングをかけて、サラダにしてしまわなきゃならないのかい?そんなのごめんだプリンセス。だからどうかそんな馬鹿みたいなこと言わないでおくれよ。あなたは俺だけのとっておきでスイートなハニーでいてくれればいいんだからさ。え、そういう意味じゃない?じゃあどういう意味だってんだい?――ああ、そういう話ならトマトも悪くない。よし、じゃあお望み通り、とっておきのやりかたで調理して、俺がおいしく食べてあげるよ。残さず食べるから覚悟しておくれ。
ああ、大好きだマイスウィートハニー!





















夫人の災難



嫌な予感というのは、えにして当たるものである。
今日は目覚めた時から何となくではあるが、その予感が頭の端に停滞していた。一体何が起こるんだ。まさか昨日まとめたデータに不備があるのか。いいや、そんなはずはない、俺があんな単純な計算でミスをするはずがないじゃないか。それともまさか、母の身に何か…いいや馬鹿な。そんなことがあればすぐに俺の耳に入る。やはり考えすぎだ、大体予感だなんて抽象的なものに左右される時点でどうかしてる。最近多忙だったから、疲れているのだきっと。次のオフには少しよく眠って、身体を休めた方がいい。
とにかく、今はそんなことなど気にせぬことだ。俺は軍服の襟元を整えて、ぴっと背筋を伸ばし、いつもよりも心なしか颯爽として廊下を歩いた。隊長たるもの常に毅然としていなければならない!根拠もない予感なんぞに惑わされるなんて全く俺らしくもなかった。馬鹿馬鹿しい!
しかし次の瞬間、どん、という衝撃と、ばしゃ、という水音が俺を襲った。そしてそれに続くひんやりとした感触。
――あ
――…き、貴様
奴は横から突然走ってきて俺にぶつかり、オレンジジュースが半分だけ入ったカップを持ってしりもちをついたまま、ばつの悪い顔で俺を見上げていた。
――…俺の軍服は何色だ
――し、白?
――今、何色だと聞いてる!
――オレンジ、です
――誰のせいだ!
――…わ、わたし?
――疑問系にするな、当然貴様がそれをぶっかけたせいだ馬鹿野郎!!
――きゃー、ごめんなさいジュール隊長悪気はないんですー!
――待て逃げるな馬鹿!

嫌な予感というのは、えにして当たるものである。





















それは空耳だと言った



風が強かった。
そのせいで、ドラコのせっかくのオールバックが乱れてる。ひるがえるローブのはしっこをぎゅっと押さえて、髪の綻びを直すしぐさに無意味にときめいてしまった。わたしの弱点はこのひとだと再確認しながらすこし距離をとる。近づいてしまったら、その白いほっぺにぽっかり浮かんだりんごみたいな赤が可愛くて、またどきどきしてしまうから。まるでドラコはハリケーンみたいにわたしの心をおそう。なんで男の子なのにそんなに綺麗なのよばか。うらやましいなあ。そのガラス玉みたいに澄んだ青灰色の目に、こんなくすんだわたしなんてきっとうつらない?
強い風がびゅうびゅうと吹きすさぶなか、ドラコが何か呟いた。
風の音にまぎれて、ほんのわずかに届いた彼の声色。
え?いま、なんて?
ごめん、なんていったの、お願いもういっかい。
風にかき消されそうで、うまくきこえなかったの。
さっきの言葉、もういっかいだけ、いって。
空耳じゃなかったって確認したいんだよ。
ねえ、もういっかいだけ、いってってば!





















日暮れのトランペット



ピアノは弾けるのしってたけど、きりやまって、トランペットも吹けるのね。
ああ。
うらやましいよ、あたし、そういう才能、全然だからさ。
ああ。
え、なにそれ肯定?なんかひどいなあ、自分でいうのはいいけど、誰かに肯定されるとけっこうかちんとくるもんなんだよ。
すまない。
いえいえ、かまいませんけど。てゆーか放課後の音楽室ってきれいなんだね、西日が入ってこんなに真っ赤になるなんて、しらなかった。
ああ。
すごいねー。きりやまについてきてみてよかった。
そうか。
でもなんか、赤ってこわいね、燃えてるみたいで。
そうかな。
そうだよ。
そうか。
そうだよ。でもやっぱ、赤っていいね。きりやまのほっぺも赤くみえるよ。
そうかな。
そうだよ。
そうか。
うん、そうだよ。





















零度の誘惑



では今から尋問を始めます/はあ?/これから私がいくつか質問しますので答えてください/なあに突然、一体なんのつもり?/何でもいいですあなたはとにかく私の質問に答えてください/・・・(なに言い出すのこいつ)/答えてください/・・・(ほんと何考えてるのかわかんない)/いいですね?/はいはいわかりましたよ竜崎さん!/では質問です/(なんだかなあ・・・)/あなたには今、恋人がいらっしゃいますか?/・・・はあ?/言い忘れましたがあなたに黙秘権はありません/・・・いませんけどそれが何か?/そうですかでは次の質問です/竜崎あんたいったい/あなたには今、好きな人がいらっしゃいますか?/・・・(わたしの話なんて聞いちゃいないわ!)/度々言うようですがあなたには黙秘権はあり/あーはいはいわかりました!そんな人いません/そうですかでは次の質問です/はいはい・・・/あなたの好きな男性のタイプをできるだけ具体的に教えて下さい/・・・竜崎/はい/あんたもしかして、/なんですか/さそってる?/はいさそってます





















極彩色の嘘



がしゃん。
派手な音と、洗っていた食器を落とすというおきまりのシーンが展開されるなか、やつは相変わらずの極上スマイルでにこりとした。久しぶり、元気そうでなにより。やつは何事もなかったようにそう言い、すたすたと部屋の中へ歩いてくる。わたしは割った皿の破片を拾い集めることもせず、ただやつが歩く軌道を目で追った。身体がそれ以外の行為をゆるさなかった。聞きたいことは山ほどあったけれど、あんまりにも突然の展開に思考は既についていくのをあきらめていた。やつはソファにごろんと横になると、めずらしくちいさなため息をついた。なんか疲れてるんだ。普段とかわらぬどこか能天気な声。わたしがゆっくり歩み寄ってそっと覗き込むと、屈託のない笑顔でにいっと笑ってみせた。よごしてごめん、ソファも廊下も、あとで掃除しておいて。すこしずつ、声がちいさくなっていた。わかった。わたしはそう言って、ソファの傍にそっと腰をおろす。赤いしずくが彼からぽたぽたと零れてソファに染みをつくっているのを、そして彼が歩いてきた軌道をたどるようにそれが残っているのを、すこし眺めた。
シャル、あなた、死ぬの?/死なないよ。/そう。/でも、なんか眠い。/そう。/うん。/おやすみ。/
やつはわたしに手を伸ばした。わたしはその手に触れた。やつはいつものように無邪気に笑った。おやすみ。ひとことそう言って、そうっと目を閉じた。





















風をあつめる髪



走る。走る。走る。
ドリブル。パス。ドリブル。ドリブル。シュート。
ほら、また決まった。
綺麗なかおに浮かぶ満面の笑顔と、背の高いチームメイトとのハイタッチ。
そしてまた、彼は走る。走る。走る。走る。
足下から低く響くドリブルの音とバスケットシューズが床に擦れる音。
グリーンのユニフォーム。色白なくせにたくましい腕。
そして、色素の薄い髪。
彼は走る。髪がなびく。さらり。さらり。
わたしは彼が走った後を目で追う。
パス。ドリブル。ドリブル。パス。
また、走る。髪が、なびく。
ドリブル。ドリブル。シュート。
また、決まった。
彼は笑って、美人がもっと美人になる。
ハイタッチのあと、髪がさらりと、なびいて。
彼がこっちを見る。
目が合って、彼は、わたしに向かってぐっと親指を立てて見せた。
同じポーズを、彼に返す。
それから、最高に綺麗な笑顔を見せて、彼はまた、髪をなびかせ走りだす。




inspired by 裏すずめ